SF乱学講座とは
SF乱学講座の相談役でもある大宮信光さんより紹介文をいただきました。
「SF乱学講座は、科学を中心とする各方面の常識を勉強しようという目的で始まり、
もう15、6年続いている公開講座です。現在は、毎月の第一日曜日(松の内以外)
に開講しています。勉強の成果は御参加者各位で発揮して頂くということで、
講座としての記録も特に保存してはいなかったのですが、この場をお借りして、
ようやく情報を記録・発振する事ができるようになりました。内容は皆様が一緒に
つくってくださる事を期待しています。どうぞ御参加くださるようお願いします。」
というのが、ホームページ作成者の堀田さんから送られてきた本講座の趣意書です。
(堀田注:以上の文章は堀田が作った文章ではなく、それまでのSF乱学講座の
ページにあった文章をそのまま大宮さんに送ったものです。)
私もとくに異存はありません。堀田さんはさらに続けて、
「ここの箇所に掲載する文章を大宮さんに考えてもらえませんでしょうか?
分量としては1000文字から2000文字で読んだ人に「乱学講座に行って見たい」
と思わせるような文章を希望します。」とあるのですが、
希望に副える自信はまったくありません。
そこで、SF乱学講座が始まる前の、いわば胎児期を読んでいただくことで、
お茶を濁すことにさせていただきます。そんなお茶は飲みたくないと思われるかも
しれませんが、そこは即座にお茶を捨てるなり、なんなりとどうぞ。
今から振り返ってみれば、SF乱学講座の“受精”は、1959年に創刊された
SFマガジンにあります。私はこれでSFへの道に踏み迷い込み、凄いSFを読んでは、
その高揚感でさまざまな世界のことを勉強したくなったからです。それは1960年代の
経済成長に走る日本社会に背を向けて、そのほかの世界たちを放浪する旅にほかなりませんでした。
1966年には、「タイムトラベル批判」を柴野拓美さんに何度か見てもらい、
話を伺いながら書き上げて『宇宙塵』に発表し、SF界にそれなりに、
根を下ろすことができたといえるでしょう。
その翌々年、石原藤夫さん宅でSFフカカイ(SFファン科学勉強会)が発足。
この会がいわば発展的解消を遂げて、SF乱学講座になったというかたちになります。
1979年に『SF宝石』(光文社)に「SF工作室」を連載する際に、編集者と相談し、
「SF乱学者」を名乗ることになりました。まぁね、まったくひょんなことから、
このように“SF乱学”なることばがこの世に誕生したのですね。
『SF宝石』がつぶれたあとも、私はできる限りこの肩書きを使うことにしました。
しかし、これでは世の人に分からない。で、本を出版するときなどに、
「科学技術と文明の未来を中心テーマにに森羅万象を狩猟採集する」とか、
「自然と文明の間に起こるさまざまな現象を調べ、考え、レポートする」とか、
自分を規定しました。でも、なんだかようわからんですねえ。
なにやかやと踊っているうち、80年代の中頃、SFフカカイで知り合った草場純さんの
妹さんの泉さんからのお申し出で、SF乱学講座がほびっと村で始まったのでした。
今は<科学評論家>とか<科学ジャーナリスト>とか
<進化文明論を志す科学ジャーナリスト>を名乗る
大宮信光 2004.3.13.
世話人:宮坂収一
サイト担当:長 高弘
相談役:大宮信光